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 今から40年以上前、日本中にグループサウンズと呼ばれる音楽が一大ブームを巻き起こした。「GS」とひとことで言ってもその定義はさまざまだが、1966年のビートルズの来日公演あたりを境にして、ビートルズやローリング・ストーンズに影響を受けた10代の若者たちによって、ジャズ喫茶などでの活動を中心にして世に出ていったバンドが多数出現した。本格的なロックを志向するものからポップス、アイドルグループまでジャンルとしては幅広いが、そこには多くの才能が集まり、ブーム終結後も'70年代以降にソロミュージシャンや作曲家、音楽プロデューサー、俳優として、さまざまなな形で活躍していった人物も数多い。

 その中でmorphでもライブを行うなど、ゆかりのあるアーティストが2人、今年になって相次いでこの世を去ったことを記しておきたい。ひとりは、1月25日に肝臓ガンで亡くなった大口ひろし(広司)。「ザ・テンプターズ」のドラマーとして活躍し、のちにGSの枠を大きく超えて、デザイナーや俳優などさまざまな分野で才能を発揮したアーティストだ。もうひとりは、4月19日に心不全で急死した岡本信。彼は「ザ・ジャガーズ」のボーカルとして、また解散後も40年近く歌手として活動を続けていた。

 大口は、実は以前この欄でも2号にわたって取り上げたことがある。2003年~04年にかけて、深水龍作+大口広司DEEP MOUTHとしてmorphでライブを行ってくれたのだが、それが決定する直前に三軒茶屋の事務所に伺ったことを今でもよく憶えている。その日はすごく暑い日だった。部屋に通されると、大口はチラッとこっちを見て、テーブルにたくさんのペンを広げて何か絵を描いていた。インタビューをしている間も、スケッチブックを手放さずにペンを動かしていたような気がする。10代でのテンプターズ加入からデビュー、GSブーム末期に渡った1969年のアメリカで、その後の転機となった体験を聞いた。本来の目的だったレコーディングとは別に、NY、LA、SFへ単身で出かけ、カウンターカルチャーに沸くヘイトアシュベリーでヒッピームーブメントの洗礼を受けたこと。LAではライブハウスでフランク・ザッパに声をかけられ、その場で何とセッションをした(!)という秘話。テンプターズ解散後に'71年結成した伝説のバンドPYGでは、メンバー的にはGSの集まりに見えても(タイガース×テンプターズ×スパイダース)、内容的は本格的なハードロック、プログレ志向だった。そしてPYG消滅後はロンドンに渡って1年滞在。ライブ通い三昧のロックン・ロール・ライフを送り、帰国後の'72年にアラン・メリルとウォッカ・コリンズを結成(さまざまなトラブルを乗り越えて大口の執念で完成させたアルバムは'90年代以降のグラムロックの先駆として国内外で再評価された)。以来、心のおもむくままに、「やりたいことだけ」をやり、ミュージシャン、俳優、写真家、デザイナー、画家、もう肩書きは関係なかった。生きることがロックであることを体現してきた眼の前の人物の話は尽きることなく、気がついたら外はもう暗くなりはじめていた。

 岡本は、ジャガーズ時代からその日本人離れしたルックスと甘いボーカルで、デビュー曲「君に会いたい」から多くの女性ファンを虜にしてきた。息子でありミュージシャンでもある岡本真来(信善)とはmorphもつながりがあり、その縁もあって昨年2月2日には「芸能生活40周年記念ライブ」と題してワンマンライブを行っている。筆者は当日会場にいなかったので、今回特別に記録映像を見せてもらったのだが、そのステージは生来の華やかさの裏にどこか年齢からくるものだけではない脆さを漂わせていた。裏方のスタッフに当日の様子を聞いてみると、実はそのころ体調を崩していて、リハーサルではマイクを握るその重さでさえ辛い状態だった(!)ということを教えてくれた。しかし本番では一曲目からマイクスタンドを外し、リズムに合わせて踊り、歌えることを感謝していることがよくわかるステージだった。彼が亡くなったのは奇しくも還暦を迎える誕生日の前日で、morphでも今年もライブを予定していた。先日5月20日に行われた「お別れセレモニー」には遺言によりパーティー方式の会とされて、500人以上の関係者やファンが詰めかけた。

 すべてのことには歴史がある。日本の音楽シーンに残る先人の功績を讃え、ここに改めて2人の冥福を祈りたい。

Interview&text : Eiji Kobayashi


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